ここで問題が! 果たして『器』とは、意識して作るものなのだろうか? それとも、作られるものなのだろうか?
『器』とは作られ作るものである!作るのは自分で作るものだと言う事は分かるのだが、では、どのように作られるのだろうか?
それは環境である!どの様な環境が人の『器』を、作るのか!家族と友人に他ならないのである!それは何故か?組織人としてでなくては、自分を他人様に合わせる、という作業は人はしないのである!では、人様に自分を合わせるという考え方を持ち、人様に合わせる作業が出来ると、『器』が、出来るのか?妥協と我慢を先ず覚えるのである!
そうする事によって自分の感情のコントロールを、覚えるのである!では、感情のコントロールが出来れば、『器』が出来るのでしょうか?
ここは
人様に合わせる作業が出来る⇒人の話を聞く。
人の話を聞くには、努力、我慢、辛抱、忍耐が必要です。
全て環境と教育です。
最近、大学4年の次男と話した時
『よく環境と教育が大事だと人に話しているのを聞いていましたが、最近家庭環境は人生を左右するのだと実感する出来事がありまして、、、』
仙人のひとりごとを読みなさいとは言っていませんが、リビングに置いていたので勝手に読んでいたようです。
大学に入り法学を学んでいる次男ですが、中学生の時かな小学生だったか、、、
『この本は科学です。知ると知らないでは雲泥の差』と言っていました。
大学生になり、読み返すと
如何に環境と教育が大事か分かりました。と話していました。
子供の器は、、、親の私次第でしょうね(≧▽≦)
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